山陰の旅 2000年5月
JR山陰線「餘部(あまるべ)鉄橋」の架け替え工事が始まった。
1986年12月、回送列車が強風で40m以上の高さから転落。6人が犠牲になったのは有名な話。その餘部鉄橋も見たこの旅行顛末記は2,000年5月、パソコンを初めたのを切っ掛けに、練習のつもりでワードで書きました。写真の貼り付け方法も解らず書いた原文のままを公開します。
山陰の旅顛末記
五月三日四時三十分、天気予報が当たり見事に晴れ渡った静岡を出発しました。例年どうり混む事は計算済みとは言うものの東名に入って直ぐ気が付いた事は「例年以上に車が多い・多すぎる!」時速80キロの団子状態が何処迄も続くのだ。歳のわりにスピード狂の私は時速140キロが当たり前なのに今日の此のスピードにはいささかうんざりです。岡崎からノロノロでなんとか走り出したのは伊吹山SEでした。出口予定の京都南IC手前からまたまたノロノロ、地獄の大渋滞はまだまだ続きました。京都市内をスルーして京都縦貫自動車道に入る手前で1時。仕方なく通りすがりのレストランで昼食(これがまずかった)。
ゆっくり観光の予定だった福知山は車窓からお城を見る。途中丹波牛の佃煮買ったり、丹波の黒豆買ったり、旨いそば食べたりとガイドブック読んで頭に入れてあったのにゼ〜ンブ省略。
出石(小京都と言われている城下町)だけは如何しても寄らなければと無理矢理観光。(デジカメで取ってあるので方法が解れば添付したいのですが今は解りません、その内に何方かに教えていただきます)一日目の宿泊予定地の城崎温泉にたどり着いたのは六時でした。三時には着いて城崎名物外湯巡りの予定だったのに、いやはや大変な一日でした。
早速外湯巡りを!と申し出ると仲居さん「お客さん、此の時間は宴会前の団体さんと日帰りのお客さんでとても入れませんロッカーすら空いていない状態ですよ!」オイ、マジかよ!「なら、めし食ってからにするから直ぐ食べさせて」。「はい、解りました、外湯は九時で終わりですお客さまをお迎えにゆく車は九時二十分で終わりです。」オイオイ冗談じゃねーぞ。しかし旅慣れた俺には仲居の腹の内はとっくに御見通しだよ。今から食わせて早く片付けて仕事終わりにしたいんだよ。其の手は桑名の焼きハマグリだ。
「仲居さん申し訳ないけど一ケ所五分、六ヶ所全部回っても七時には帰れるから」。
七時過ぎに戻るとドーンと支度が出来ておりました。ドカーンとど真ん中にたらば蟹が一枚、何でたらば蟹なんだ、此処なら松葉蟹だろーに。寒風吹き荒む二月に毎年本物の越前蟹を喰いに行く俺にこれは無いだろうに!勿論今越前が出たとしても冷凍だ。このたらば蟹も冷凍ならよっぽど松葉蟹の方が良いのに。さっきの事と言い蟹の事も有りチップを千円減らして渡しました。
つづく
初めの写真は餘部鉄橋
末尾の写真は出石の風景
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